ギャンブル依存症を克服した人の成功談

「ギャンブル依存症」を治す方法は?克服者の体験談

【年代】30代
【性別】男性

 

私はギャンブル依存症で、親に言われて、少しずつ積み立てていた30万円も、わずか2ヶ月で全て失ってしまいました。
同棲していた彼女とも、休みが一緒の時は、毎回のデートコースのように、パチンコ屋に行って朝から晩までパチンコやパチスロ三昧でした。
せっかく頑張って働いて稼いだお金も、パチンコの機械が、シュレッダーに思えるように、どんどん吸い込んでいきました。
今思えば、その時稼いだお金で、海外旅行や、国内旅行にも行けただろうし、結婚資金として貯める事も出来たなと、今思えば、後悔が募ってしまいます。
その時は、愛する同棲の彼女が、ずっと私の側にいて、いつまでも私を信じてくれたので、少しずつギャンブル依存症の道を克服する事が出来ました。
本当に今の妻に感謝です。

 

【年代】40代
【性別】女性

 

○○依存症と言う言葉が、数年前からメディア等で聞くようになりましたが、私も今思えばギャンブル依存症だったと思います。
私の場合は、その中でもパチンコ依存症でした。
仕事がある日は仕事が終わってから、仕事が休みの日は朝からお金が続く限り行っていました。
手持ちのお金がなくなると借金をしたりしていました。
「パチンコ屋さんに行かないようにしよう」と、何度も思いましたが、パチンコ屋さんの前を通るとフラフラ入って行ってしまう。
家にいても今日は勝てるような気がして行ってしまう。
案の定、借金が増えてゆき自転車操業になってしまい、どうにも自分の力では返済できなくなってしまいました。
そして友人の薦めで債務整理をしました。
パチンコ屋さんに入ってしまったら遊戯をしてしまうので、まずはパチンコ屋さんに入らない我慢。
前を通っても素通りしました。
後はパチンコ系のテレビや雑誌を一切見ないことでした。
今では勝つことよりも、負けるのがもったいないと思い一切遊戯していません。

 

【年代】20代
【性別】女性

 

私は結婚を機に仕事をやめ、日中することが無く開店から閉店までパチンコ店へ行きギャンブル依存症になってしまいました。
あまりに辞められず病院に行こうかと悩んだ日もありました。
私が自分自身でギャンブル依存症を克服したのは、とてもシンプルな事です。
それはパチンコ店へ行かない事です。
日中に予定を入れ、毎日忙しくすることと、お金のない状態を保つ事です。
それも2週間だけです。
2週間行かないと、自然と別に行かなくてもいいかなとゆう気持ちになりました。
今でもたまにパチンコ店へ行きますが、少し頻繁に通い過ぎた時などは、毎度この方法でパチンコ離れをします。
とても簡単な方法なので、もしギャンブル依存症かもしれないと悩んでる方がいらしたら、試してみて下さい。

 

【年代】40代
【性別】男性

 

ギャンブルを何となくしているうちに、もっと強烈な刺激を求めていき、日常の中で面白くないことがあったり、退屈を感じているときに、ギャンブルで大当たりを引いた時の興奮が刺激を与えてくれ、それが結果的に依存症へとなっていったのだと思います。

 

私は人付き合いが不器用ですし、誰かと話したり飲んだりする事も苦手なので、誰にも干渉されず、刺激を与えてくれるギャンブルは心の拠り所だったのでしょう。
そんな私ですが、こんなギャンブルは止めなくてはと思い、何度もギャンブルなんてくだらないものはもうやらない、やめてせいせいした。
という感覚を植え付けようと思うのですがなかなか進みませんでした。

 

しかし、何とか私という依存症の人間を客観的に捉えることを意識し止めようと思ったのです。
「少しくらいなら」という気持ちを捨て、ギャンブルとは一切共存しないという強い気持ちだけを持ち続けようとしています。

 

【年代】30代
【性別】男性

 

とにかく、私は、パチンコとパチスロに行きたくて行きたくて仕方がない状態の、ギャンブル依存症になりました。
ピークの時は、毎日パチンコ屋に行かないと、気持ちが落ち着かなくなり、仕事中も、早くパチンコやパチスロがしたくて、仕方がない状態になりました。
そしていざパチンコ屋に入ってしまえば、財布のお金が全てなくなるまでやるのは当たり前で、さらに近所の銀行のATMで、お金を降ろしに行って、再度同じパチンコ屋に戻り、当たるまでし続けるのが日常茶飯事でした。
結局トータルで、何百万円もお金を失ってしまいました。
それを改善させる事が出来たのは、ギャンブル依存症の本を読んでからです。
いかにギャンブル依存症が、怖い病気かという事を学んだおかげで、ギャンブル依存症を克服する事が出来ました。

 

【年代】70代
【性別】男性

 

パチンコは学生のころ、友達に誘われて行ったときにはじめてやりました。
はじめはやり方もよくわかりませんでした。
その頃はまだ立ってやっていた時代でした。
うまい人を見るとまるでプロみたいでした。
台の中を数個の球が回っていましたね。
私は1個づつ打っていたのです。
その違いは歴然でした。

 

そのころのパチンコは上の真ん中に入ると数個球が出てくるものものでした。
したがって真ん中により多く入るものが、だんだんと球がたまっていったのです。
このころはまだそれほどパチンコ依存症というような言葉はありませんでした。
わたしも儲かると兄さんが近くに立っていてタバコを買ってくれました。
このころはまだ遊びの域は出てないと思います。

 

その後ですね、液晶が出てきて、コンピューターが出てきて、パチンコも座って自動で打つように変わりました。
これは777が出るとすぐに大きな箱に一杯球が溜まるものでした。
その興奮度はすさましいものでした。

 

このころからですね、パチンコ依存症という言葉が話題になったのです。
パチンコに熱中して、お子さんを駐車場の車に放置していて死なせたのも話題になりましたね。

 

このパチンコは今も原型がほとんど変わらず続いていますね。
出てくるとその興奮度は大変なものです。
私も15箱以上出したこともありました。
これがたまらなく面白いものです。

 

それで会社帰りに毎日のように町のパチンコ屋に通ったものです。

 

これはもうパチンコ依存症ですね。
その後目を壊してしまいパチンコをやめました。

 

あるとき目が昼間でもぼやっとしていて、なんとなく焦点が定まらないのです。

 

それで眼医者に行きました。
そしたらどのような生活をしているのだと。
パチンコの暗い所で電気のちかちかが目にいけないのだと。
このままだと失明しますよとと言われたのです。

 

それでやめたのです。50年くらい続けたものでした。